辰田校長先生から、古い島高新聞のコピーをいただきました。
昭和30年の島高の分離独立問題と、昭和47年の女子の応援時の中腰廃止についての記事です。
S30年10月15日発行の記事によると、生徒644名にアンケートを取り、賛成144名(22.4%)反対490名(76.0%)、それに対し、父兄は7割が賛成だったようです。不明・白紙は10名だったらしいので、生徒達の関心の高さを、論説で解説してありました。論説記事によると、県の教育庁の分離の理由は、現在1600名の生徒数が多過ぎるということだから、定員440名のところに550名も入学させて1クラスが50人以上になっているのが問題だから、ちゃんと440名を入学させて1クラスを40名にすれば、競争率も上がり生徒の質も良くなるとありました。これってホント?今なら定員をオーバーして入学させるなんてありえないですよね。
S23年に中学校・女学校・商業学校の3校が統合されてできた島原高校は、普通科・商業科・家庭科があったのですが、紆余曲折を経て、S31年に分離されました。S30年島高新聞.bmp
S47年11月27日発行の新聞では、女子の中腰が廃止された第24回体育祭が取り上げてあります。「華麗なる変身」と「綱引き」が新たな種目として取り入れたとか。例年になく楽しめる競技が多かったという意見が多かったそうです。実は、その47年、島高の1年生だった私、以前と比較はできないのですが、この記事を読み、華麗なる変身はうっすら思い出しました。またアメ食い競争にも出たことあるかも・・・他にも八角堂とりこわしの記事もありました。