以前少しご紹介致しましたが、島高卒業生による職場の同窓会「森岳会」の報告メールが届きましたので、ご紹介致します。
12月11日(土)に森岳会忘年会を11人で開催しました。
昼間はゴルフ好きのメンバー6人がゴルフをやって夜、忘年会でした。今回は少し下まで案内がいきましたので若いメンバー(S62年卒まで)が入りました。
パソコンも持ち込んで、送っていただいたCDで校歌をBGMに会を進めました。
若いメンバーのことがよくわかりませんでしたので、まず自己紹介からはじめました。出身小学校、出身中学校、高校時の部活など話し、「市内、北目、南目」とそれだけで盛り上がりました。島原市内も1小、1中地区から安中、三会などローカル色豊かでした。
懇親途中CDで自分の当時の島高新聞を見てもらったり、「島原新聞?」「違う!」「似とるね!」「題名だけやろ!」それぞれに生徒会時の自分の名前を見つけたり、先生の記憶やニックネームを呼び起こしたりと盛り上がりました。
最後はもちろん「校歌」「第一応援歌」「第二応援歌」「島高節(1番と4番)」で、うまく歌えなかったから、連帯責任で全員「ちゅ〜〜ご〜〜し!!」をやって、アンコールで「校歌3番まで」歌い、締めは「エール!!」で終わりました。
私が当時は応援部の部長をやってたので、しっかり仕切らせていただきました。本当に楽しかったですよ!先輩たちも良識ある方ばかりなので(しっかり中腰もやってくれたし)、みんなが純粋に島高OBの仲間として楽しんでくれたと思います。
島原南高の人は郷土意識が強いと長崎ではよく言われますが、長崎でその訛りから「ご出身は南高ではないですか?」と尋ねて、南高の方だと「私もです」とそれだけで仲良くなれます。
次の質問は「島原高校ですか?」であって、「そうです」となるともう仲間なのです。「何年卒?」で「オイが先輩」あるいは「オイが後輩」とかなるわけです。やはり郷土意識は強いと思いますし、同じ母校という連帯感は強いと思います。
たまにはこうやって年代は違っても「国語の宮崎金助先生がおった。」「あ、私の時もおりましたよ。やかましかったですよね。」など高校時代の話に花を咲かせ、盛り上がったり、腹を割って話したりするのもいいのではないかと思います。
本当にうれしいメールでした。地区・学年・部活の同窓会報告は、今回の「同窓会誌20号」にもたくさん載せました。それに、職場の同窓会まであるんですね。同窓会が日本一盛んな町−島原−そんなに遠いことではない気がしています。
|